リモート会議、オンライン飲み会、テレワーク――離れた場所で気軽に顔を見ながら会話が可能になり、最近は患者様への面会もリモートで行わせていただくようになっています。そんなオンライン化の波が押し寄せる中、本年6月には当院にもついに電子カルテが導入されました。薬剤部の仕事の流れにも一部変化があり、デジタルゆえの便利さと、ほんのちょっとの融通の利かなさにまだまだ翻弄されているところです。
かつて日本に初めて西洋医学(蘭学)が入ってきた頃の漢方医の方々も、これまで培ってきた漢方医学とまったく考え方の異なる蘭学のあいだでそんな相反する気持ちを抱えて診療にあたっていたのかしらと想いを馳せながら、今号は生薬の代表選手とともに少し歴史を紐解いてみたいと思います。
和名:オタネニンジン
学名:Panax ginseng
ウコギ科トチバニンジン属の多年草。
原産地は中国東北部から朝鮮半島にかけて。
単一のまっすぐ伸びた茎の先に輪状に葉をつける。
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高麗人参、朝鮮人参と聞けば、サプリメントなどで親しまれている方も居られることと思います。中国最古の薬物書「神農本草経」では不老長寿の薬として上品(じょうほん)に挙げられ、日本でも古くは奈良時代から重宝されてきました。
特に広くもてはやされるようになったのは、家康が江戸に幕府を開いてのち260余年続いた徳川の時代。戦のなくなった平和な世にあって、人々の関心は毎日をどのように楽しく健康で生きるかということに向けられていました。日頃から人一倍健康に気を遣っていた家康も、質素な食事や運動を心がけ、自ら薬の調合をおこなうなどし、当時としては長寿命と言える75歳の天寿を全うしたと言われています。
いわゆる鎖国状態にあった江戸時代、貿易や外交は大きく制限されていました。その結果、芸術や学問など多くの分野で日本独自の文化が花開きます。大陸から伝来した医術や薬草の知識をもとに、国内で発展を遂げた漢方医学もそのひとつ。
当初は生薬の多くを中国からの輸入に頼っていましたが、やがて日本国内での需要が高まってくると、幕府は薬草の探索や栽培研究に力を入れるようになりました。
8代将軍吉宗は生薬の国産化を目指し、高麗人参の国内での栽培研究などを熱心に進めました。度重なる試作ののち、高麗人参の種子からの栽培に成功すると、吉宗は各地の大名にこの種子を配布し、栽培を奨励しました。これが由来となり、高麗人参は和名をオタネニンジンと名付けられています。
当時は全国各地で栽培が試みられたそうですが、植物としてはたいへん繊細で、直射日光や夏の暑さ、雨が苦手なため、栽培にはとても手間がかかります。おまけに成長ものんびりしているため、生薬として使用するには五年ほど栽培しなければなりません。そのため近代の日本では漢方医学が一時衰退したこともあって栽培量は減少の一途を辿るばかりになりました。
現在は島根県・長野県・福島県の一部地域で栽培が続けられているそうですが、国内市場で広く流通しているものはほとんどが中国や韓国などからの輸入品です。
漢方では乾燥した根(細い根は除く)を人参として、疲労回復や滋養強壮などさまざまな処方に用います。また、細根を残したまま蒸して干した紅参(コウジン・左写真)は、保存性や薬効がさらに優れています。
ウコギ科トチバニンジン属の薬用植物としては他に三七人参や竹節人参などの基原植物があり、これらは漢方において人参の代用とされることもあるようです。一方、私たちの食生活になじみ深い野菜のニンジンはセリ科ニンジン属に分類され、薬用のオタネニンジンとは少し異なります。
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西洋医学には西洋医学の、漢方には漢方の向き不向きがあり、デジタルにはデジタルの、紙には紙の良さがあります。どちらか一方ではなくどちらの利点をも生かす選択をすることが、より良い明日につなげるための最良の手段だと痛感しています。